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2009/03/08

思い出した、胸が痛い文字。

「介護」という言葉を聞くと胸が痛い。

以前、務めたていたとき、私の母は病気だった。平成11年に手術をし、その後以来定期的にずっと点滴投薬治療を受けていた。入院は余りにも退屈で嫌だと通院治療を母は選んだ。

それで、通院治療に付き添う役目のほとんどを私が担った。血管が細くなっている母の天敵にかかる時間は、約6~7時間。その間、話し相手をしながら付き添う。通常は特に問題はない、ただ母は一人での治療を不安がった。大学病院では治療費の精算や支払いにの移動が多い。カーテンで仕切られたベッドでの治療の間に、気分が悪くなったり、トイレに行きたくなったり、そんな時のために誰かに傍についていて欲しいと訴えた。帰りも治療後は気分が悪くなったりするので、一人で帰宅することが不安だったらしい。

そんなに頻繁にという訳ではない。母は病院まで一人でタクシーに乗ってくる、朝の8時半に病院で待ち合わせをする。治療が終われば私は母を車で実家まで送って行く。しかし、気分が悪くなってしまうということは少なく、帰りの道すがら食事をご馳走してくれる事も多かった。でも私は、勝手に時間的な負担がかかっていると思っていたことは確かだ。今から考えると、何を話したのか覚えていないくらいの話し相手くらいでしかなかったのに。

ある年のクリスマス。母は突然動けなくなって、とうとう諦めて入院した。足がパンパンに腫れて全身状態が日に日に悪くなっていく。

母は、足の腫れさえ引けば車椅子を我慢するから美術館に連れていってねと訴えた。母は外で食事をすることが好きだった。映画館で映画を見たり、美術館に行ったり、ホテルでお茶を飲むのが好きだった。悪く言えば、どうやって生きてきたのかと思うくらいの能天気で気分屋、良く言えばアクティブで前向き。

その後、全くベットから起き上がることができなくなった、でも全身が痛くて私が体を擦ってあげながらの会話の内容も、ずっと体調が良くなって外出する話ばかり。

母がそんな状態になっても、私は仕事を辞めず、それでも休みにくくって土曜日と日曜日と休みの日だけ病院で付き添った。母はもうちょっと来れないの?って私に何度か聞いた。仕事も中途半端だ、資格を取るための専門学校も行けなくなくなっていた。家の中もほったらかし、でも母にも中途半端な看病しかできなかった。治る見込みはない、状態も日に日に悪くなるばかりで良くなる可能性なんて殆どない。長い間の点滴治療に薬疹が出だし、もう治療の道もなかった。

仕事も忙しい時期だったが、確定申告が終わったら前から相談していた“介護休業”をとるを決心した。それで仕事も辞めざるを得ないなら仕方ない、資格のための受験も来年に延ばそうと、やっとやっと決心をした。自分が決めたことなのに、ほっとしたのを覚えている。その話をしたら母も嬉しそうに喜んでくれた。

だけど、間に合わなかった。

母はその日までに亡くなった。

だあれも私からも責められることはなかったけれど、反省した。。。weep

私って”ぼんくら”だなって思った。全く判断力・決断力の鈍い、かなりいさぎ悪いヤツだと思った。だらだらと流されてるだけで、全くもって自分勝手なヤツだ。常にエラそうに、わかったような顔をしているけれど全然物事の道理をわかっとらんやつだと反省した。

だけど、多分同じことが起こったら、また同じことをしてしまう気がする。自分はどれもこれもできる気がする勘違いオンナ根性は全くもって直っとらんし。未だに欲深く、自己中心的だ。

大事なものがたくさんあり過ぎて、どれもどれも我慢したり、捨てたりできない。あれもこれも大切だから優先順位を全くつけずに、すべてを抱きかかえてしまいたい。

きっとお母さんも思ってるだろうな。 子供の頃から、両親にずっと言われ続けた。                             「あの子は全く私の言うことを聞かない娘だ」って。。

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