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2013/01/27

いろんな次元でのワールドがある、それも常識だ。(なんてね)

昨夜、早めに帰宅。娘が録りだめしているドラマをみてみた。

その中の

「夜光観覧車」http://www.tbs.co.jp/yakoukanransya/

 

何を主題にしたドラマなんかは、たった一回では読めなかったが、長く(確実な定義はない、ずっと以前からいる人、そして最近になり街に移り住んだ人は人種が違うのだ)高級住宅地にプライドをもって住んでる人たちと、その人たちからしたら新しい者は受け入れがたいことだと知らない新参者の、「ほんまかいなっ!?」

ドラマではひばりヶ丘という、高級住宅地に何故か35年ローンでサラリーマン一家が移り住んできたところからドラマは始まる。

 

家族は、閑静な住宅環境と自分達の新居の満足一杯で、ご近所まわりへの挨拶を翌日に回す。

(まず、あかん!あかん!、と突っ込んだ)

ご近所へのご挨拶は、常識的には、まず工事が始まる、または引っ越しが決まったら、そして引っ越し当日が常識じゃんよ。だって閑静な住宅街に引っ越しトラックや引っ越し業者の喧しさでご迷惑をお掛けします、ってご挨拶は当然でしょ。
そして、ごみの日はいつですか?どのようなお付き合いが必要ですか?どなたからご挨拶すべきですか?どこでも、ワールドに足を踏み入れたら、どこを抑えるべきかを外したらアカンでしょ。(後に、私はこの”外しちゃいけない方”にみえる存在になっていくのであるがね)

常識である。

鈴木京香はまずここでしくじっている。


そして、引越しのダンボールをゴミステーションに置くなんて言語道断である。ダンボールや大量のゴミは業者が市に直接連絡して引取り予約をし、それまでは家の外へ出してはいけない。ゴミステーションの掃除は当番制で、
うちのご近所では、
前日の夜に出してはいけない、

なんて当たり前だし、

ゴミネットも電柱にくくるなんて「みっともない」ので当番が管理するシステムだった。

朝の7時にゴミネットを出して電柱にくくり広げる、ゴミ回収が終わればステーションのお掃除をしてネットは畳んで自分の家に持って帰らなければならない。

あるとき、「ゴミテーションのネットが汚くて触れない、タクは集団回収から外れて、市に直接交渉しゴミ個別回収を頼みましたから」

と言い放つ方があるとき現れた。

それはそれは、ご近所の奥様方はお怒りで「keruさん!、あなたお若いのだから、先頭に立ってそんな勝手は自治会で許されませんことよ、とおっしゃって!」と言われ、その奥様宅に10名くらいのご近所奥様集団で乗り込んだことがある、不本意だったが、仕方がない。

しかし、その大勢にもその奥様は負けなかった。ドラマそのものだった。
「だって、よそのお宅のゴミなんて汚くて私には触れませんわ、どうしてお金を払って業者にさせることを検討されないよ!タクの主人に相談してもゴミネットなんて触らなくてもいい、と言いますし、息子も”お母さん、ゴミステーションなんて汚いなあ、見てて嫌になるわ”といいますのよ」と言い放たれた。

私の後ろにいらっしゃる奥様方は「ひやあ、なんてことをっ!!」とヒステリックに叫び、ひっくり返りそうになられたものだ。


私なんて、家にもいない、どうみても自由奔放そうな”派手な嫁”とご近所で有名だったから、全く気にしていなかったが、
お隣やそのお隣のお嫁さんは本当に気の毒で、高い塀で外から見えないお宅での中で”いい嫁”を貫いてられてはず、だから私にはないほどの苦労をしてるんだろうな、大変tっ~ということを何度も感じたことがある。
しかし、うちの姑が現代的な考え方の人だったわけではなくて、私は全く言う事を聞かないわがまま奔放嫁だった。



どなたかの2代目でなくて、”よそから”若い方が引っ越してこられたと聞くと「この辺も環境が変わって魅力的でなくなった」と嘆いてる声も聞いたことがあるし、

ドラマと同じく、洗濯物は道から見えるところに干したらダメと私も姑に言われた。私はこれも戦い続け、私が干し、姑が裏に回し、また翌日には私が干し、だって、玄関横が南向きなんたもの、姑は洗濯物はみっともないからと、日が射さない裏口の細い勝手口前にしか干さない。ご近所はみんなそうだ。
ゴミもチェックされる、あそこのお宅のゴミにはインスタント物の袋ばっかり入っていたとか、と姑もよく言っていた。

私ももういらないと思い切って捨てた新品ではある洋裁用の生地、ご近所の方がもったいないと袋から出して、私のうちの前に戻しておいてくださったことがある、あ~ゴミはみんな見られているだな、と気づいたもんだ。

私も結婚したとき、お菓子を持ってご近所全てに姑と一緒に挨拶に回った。「うちの嫁です、お料理が好きなんてすよ」って姑がいい「そりゃ、いいお嫁さんをもらわれたわねえ」とご近所の方がいい、
私は一体誰にもらってもらったんだか!?と感じたが、
まあ、仕方なかった、時代だしね。今では考えられない。


ご近所の方々も順番に亡くなり、息子さんが戻られたり、土地を売って(大きな土地ばっかりだったしね)その土地に4軒くらいの新築住宅が立ち、若い人達が増えて、
一気に環境は変わってきた。
私も引っ越してしまったが、

このドラマを観ると、
こんなん多分、笑い話ではなくて、
スモールワールドではあるけれど、
今でもどこかでは普通の常識だろうな、と笑いながら毎回、突っ込んでしまう。


(追記)

他にも同じようなスモールワールドのエピソードを思い出し、一人笑った。

「あそこのお嫁さん、仕事してはるらしいよ。子供を留守番させて働くなんて、そんなこと非常識よね」って、しかし”職業婦人”には敬意を一応表す。どれが”職業婦人”なのかは不明だったが。

子どもが一人だと「かわいそう」と必ず言い放つ、「子どもは子どもの中で育つもの」、っで、うちのように3人以上の嫁には口は挟まない。

ピンポンと鳴らすのは高い塀の勝手口の低い扉の方のインターホン。客でもないのに玄関用のピンポンを鳴らすのは”何様のつもり!?”と思われる。塀の中にはなかなか人を招き入れない。
しかし、奔放な嫁が育てる我が家の奔放息子のサトルは、どちらかのお宅のこの低い裏木戸が開くと、なぜかぴゅーっつっとその中へ私が目を離したすきにすぐ入り込む。
そこの奥様は「きゃあ~またサトルクンが入ったっ~!?」とお叫びになり、その叫び声でうちの姑は青くなる。しかし、サトルは多分、靴を脱ぎ散らかし、その大きな邸宅を走り回るのである。
そこで奥様は常にお菓子を準備していらしゃって、それを餌にサトルを引っ捕まえ、追い返すことにいつも成功なさる。そして、私に言う、
「サトルちゃんはいつも元気で、いいわねえ、keruさんに似たのね」

ピアノを習わすのは常識である。

しかし、サトルにピアノは無理ですぜ、私は姑に言った。「それは、あなたの教育が悪いからよっ!、子供の無限の才能を勝手に決めつけたらだめよ」そんなもん、サトルはおばあちゃんちの古いピアノの鍵盤の間にミノムシを隠し、黒の鍵盤に私のマニュキュアで、サトル曰く”ミノムシの友達”の絵を書いて、おばあちゃんを卒倒させかけた。

2013/01/14

涙、です。

毎年、長野の蜜たっぷりのりんごが届く。

はじめは、もう5年ほど前。

松原の顧問先「あ、りんごお好きですか?」

「目がない程、大好きです」「それなら、希少価値の”日本一”美味しいと私が思っているりんご、是非もってかえってみてください。」

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大きなりんご10個、紙袋に入れてもらってフ~フ~言いながら、抱えて帰った覚えがある。そのりんごはそりゃ、驚く程美味しかった。その感想を素直に伝え、私は実は一日中りんごを食べ続けられるくらい、りんご好きなんです。っと、言ったら毎年毎年箱でこのりんごが届く。なんでも、こちらの奥様が直接農家に頼んで購入されているもので、小さな農家のため長野に行かずして箱買いは通常できないそうだ。それを頼み込んで私の分まで送ってくださる。


こちらの会社との付き合いは7年くらい。私のセミナーを聞きに奥様がいらっしゃって、そのあと生保会社の営業と一緒に訪問し、あとは顧問契約をさせてもらっている。
社長のバイタリティ素晴らしさ、そしてよく喋る。力強い芯の通ったさすが営業出身という方だ。ワンマンでもある、社員をビビらせる、決して荒っぽい言葉ではなく迫力を感じさせる。

リーマンショック時、

11月に私は恐る恐る情報提供をしていた「関係ないかもしれませんが、こんな助成金(雇調金」あるので、何かあったらご連絡ください」
「いや、まだ何とかなっている、何かあったら早めに相談するわ」と、
それが年明けの1月仕事はじめくらいに連絡があり、「えらいことや、来月からうち8割減になりそうですわ、相談したいのできてもらえますか?」と。
このあたりから大阪はある意味の地獄のような時期だったように感じる。助成金センターは法改正も間に合わない見切り発信で、受給申請にごった返し、4~5時間待ちもざら、私たちも必死に情報を集め、時間との戦いのような助成金手続きに走り回った。
こちらの社長ともそりゃ厳しい言葉をいただき、しかし国の対応は遅れがち、こういった書類の適切な作成の意味を理解してもらうのに苦労した、
忘れもしないJR北新地駅で切符買う前に社長から電話がかかり、電話を切れずに大声でやりあい、約1時間電車を見送った。

それが、60歳を超えたこちらの社長、
さすが、
10ヶ月程度で助成金申請をやめ、
2003年冬から賞与の金額も戻り始めていた、私らはこういう連絡をもらい賞与や昇給の金額が大きくなると嬉しくなる。
あ~さすがだな。


それが昨年10月に連絡をもらい、
社長が病気で、娘婿さんが社長になる、手続きを。

驚いた、春にお会いした頃そんなお話はなかった、結構いろいろな相談や愚痴を聞きながら必ず訪問時にはお昼をご一緒させていただいていた。そういえば、昨年はお昼をご一緒に、と言われたことがなかった。
ゴルフもお好きで、「先生、どれくらいで回るの?」

「150です」

笑わずに「そりゃ、あかん、もっとあとやな」
お会いするたびに「どれくらいのスコアになった?」
「140です」
「130です」
「もうそろそろ、行きますか?」と、言って頂いたが、
同じくゴルフ好きの奥様も「最近ゴルフ全く行ってないんですよ」
社長からのゴルフのお誘いは全くなくなっていた。私のゴルフの成長度合いが鈍いからかなと感じてもいたけれど、実は、
この頃からことは変化していたのかもしれない。



訃報が届いた。
突然のように感じた。
昨年12月に入院を聞き、奥様に少しお話をしたけれど、
何も考えられない、
といった狼狽されている様子に、ただ事ではない雰囲気は感じ取った。



葬儀での
新社長の挨拶は立派でした。

その後の会社やいろいろな手続きに不安を抱えてお電話を頂いた際にお伝えした。


本当に鍛えていただいた社長だったと思う。

奥様は常に社長を公私ともに支えてられる方で、決して私には真似できない、というと

「社長は、私みたいな専業主婦感覚の女が嫌いで、先生みたいな人が好きなんですよ」
「まっさかあ、社長と私が一緒だったら家でも会社でも”罵り合い”ですよ、きっと」と、よく笑いながらそんな話をした。


どうしても、辛辣な言葉で私に「せんせ、男にカツ入れてる場合ちゃいまっせ、女らしい一面も思い出しや」

って、半分笑いながら、斜にしか私を見ないでの姿しか思い出せない。


涙、です。

2013/01/06

あけおめでございます。

本年も皆様、お互いに、幸せな一年を過ごしましょうぜ。

毎年、毎年、繰り返され続けるお正月。

何度かこのブログにアップしたみたものの、

実は私の母は平成15年に亡くなり、男やもめを継続中の父親の本人いわく死にたくなる程、寂しい大みそかと元旦を回避するために、私とうちの子供ら3人は「おじいちゃんが生きている限り」との約束をし実家に泊まりがけで帰る。

しかし、男やもめの実家には、誰かを泊めたりする用意はなく、私はこの10年大みそか(もしかして初夢を見るであろう)大事な夜を、服のまま(布団がないので寒くてパジャマには着替えられない)お布団をほとんどかぶらず、ユニクロのダウンロングコートをかぶって、仮眠のような寝方をしている。


しかし、50歳も過ぎ、30日までバタバタと残った仕事や、片付けきれなかった事務所の書類の山との戦いや、ろくに1年間まとまった掃除もせずに過ごした自宅マンションの大掃除と、えらい人ごみの中ぎゃ~っと走り回って買い続ける年末年始準備と。。。疲弊し続ける。
しかし、28日に電話をしてきて「何時に来るんや!?」とまた、泣き言や妹たちの愚痴を言う父親が不憫で、我慢し続けているし、特にどうにかしようという問題解決策も取らずに、自分だけが年喰って、体がしんどくなってきている。

大みそかは朝から買い物をしまくり、(これも人が多くて時間がかかるね)実家につけば、お煮しめの準備をしながら、晩御飯を作り、山のようにたまった洗い物をし洗濯機を回し洗濯物を干し続ける。年越しそばをつくり、洗い物をし、「明日のお祝いは時間厳守っ!」と父親に言いきられ、お雑煮やお祝いの準備をする。そしてまた洗い物と戦い、洗濯をし、夜のすき焼きをして、洗い物をし続け、帰路につく。
そこら辺りまで、結構我慢しているが、悟マンションに送り届けるあたりから、精神が切れだす。
「私が実は今のところ一番忙しいはずなのに、なぜ、いつまでも楽にならないんだ!?」と泣き言を考え出す。


しかし、
私は普段、実家に帰らない。
仕事、仕事、と言いながら、飲んだくれ、ゴルフに行き、毎日毎日どうみても楽しそうだ。

こんな勝手が許されてきたんだ。
この何年間、私は自分の好き勝手だけをしてきた。
ず~っと以前は、介護や看病や子育てや、と自分の時間がないことを嘆いていた時期もある。
それに比べると、なんて我がままを考えているんだな、と
反省をした。

私の父親には4歳上の姉がいる。私の叔母である。
この人は子供がいない。そして主人も亡くし一人ぼっちである。
私がこの人に似た、と何かにつけ言われるくらい、我がままで気が強い。っで、父親とも仲もよくなく、あまり行き来はない。
だから、私はこそっと顔だけを見に行く。叔母は半泣きでいう、

「あんたのお父さんは一人でかわいそうやわ、私が上手ではないけれど料理を届けてあげようと思うけれど、”かまへん、ほっといて”と怒るから遠慮しているけれど、毎日ごはんはいったいどうしたはんねん!?長男で育った子やから、子供のころから何にも一人でできひん子やったのに、かわいそうやわ。私がお世話をしてあげるのに」と85歳の叔母は嘆く。

それを聞いて、やっと、私は泣きそうになる。
出来の悪い妹を嘆いても仕方ない。
自分の忙しさをすぐに理由にする私も最低だ。



今年は、
実家に帰って夜ご飯を作りに行こうと思う。
最近は自分をいたわり過ぎている、疲れた、
なんて、まだまだ早いな。
私は、
私に未だにガミガミいう父親にも、
私に口うるさくいう叔母にも、

まだまだ長生きしてほしいと、
思っていることを、伝えていかないと。

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