カテゴリー「マサオさんとアキコさん」の4件の記事

2008/01/20

クラウン救済大作戦

リクエストにおこたえしまして、「明治生まれのマサオさんと大正生まれのアキコさん」

何故か、このネタ反響が大きい。お気づきかと思いますが明治生まれのマサオさんと大正生まれのアキコさんはご夫婦でした。でっ、こういった方の周りには往々にしてそれはそれは面白いキャラの方々が集まってくるものです。

イィちゃん、アキコさんの妹さんでした。

イィちゃんは私の耳元で小声で話します。それは秘密をアンタだけに教えるわよって、ちょっと誇らしげなノリです。

「あのさ、ご近所の○○さんねお財布として困ったってって言ってるけど、私ウソちゃうかな~って思うんよ、だって○○さんな銀行のカードも財布に入れてたから一緒に落として困ってんねんって言ってはるもん!、ねっおかしいやろ!?」

「?どういう意味ですか?そりゃ財布落としたら、普通は銀行のキャッシュカードも一緒に落とすでしょ」

いぃちゃん曰く「あんた!銀行のカードって普通は金庫に大事に大事にしまっとくもんやろ!無くしたら大変やからさっ!なっ!」

この調子で、全てが話にならない。

イィちゃんを含めて二組の夫婦と未亡人の妹さんがしょっちゅう遊びに来ます。そのたびに笑えるネタをいただく訳ですが、或る日うちの前の狭い道路で、車でいらしたオカバのオジサンが脱輪してタイヤを溝に落としてしまいました。っで、相談して誰かが運転席に座り、残りの皆で車を押そうじゃないかという事になったようです。その運転席に座る責任重大な役割を決めるべく喧々囂々、声を荒げて話し合った結果、白羽の矢が当たったが、なぜか。。。

「私っ!?なんでですか?」

「ほれ!あんたが一番若くて運転技術と反射神経が優れとるからやからっ!」

えぁ~!なんか失敗したら100年くらい言われ続けるでなぁ。。。(それに、イィちゃんの主人はタクシードライバーです!)それで、そういうことになりましたが、光景はかなりおっかしかったはず。私が古い~デカいクラウンの運転席に座り、車の後ろから「せぇの!」って押してるメンバーが、

82歳のマサオさん、75歳のオカバのオジサン、72歳のアキコさん、70歳のオカバのオバサン、68歳のユゥちゃん、65歳のイィちゃん、64歳のカッちゃん。

「せぇの!」「いちにのさん~!」

私はバックミラーを見ながらタイミングを見計らい、ここだって時にアクセルを思いっきり踏み込んだ。

ボンッ!ブィ~!!確かにタイヤは無事に道路に乗りました。そして一見この救済ミッションは成功かと思いきや…

車が道に上がったからと言って反射神経の鈍ったクラウン救済メンバーのみなさんは車から手を離すことが出来ず、ジジババ全員が折り重なるようにして、道路にうつ伏せ状態で叩きつけられてしまったのです。ミラーに写ったそのおぞましい映像は忘れることが出来ません。「ひぇ~~~」

その後、湿布を貼りながらのメンバーの皆様から、激しいお叱りを受けたのは予測できますでしょう?!

2007/11/11

大正生まれのアキコさん

私はアイスクリームなんて特に好きコノンデ食べません。しかし、ハーゲンダッツだけは好きなの。
一年に10個くらい食べるかなハーゲンダッツ。

そしてハーゲンダッツで思い出すエピソードがある。
時は平成7年、震災の年。大正生まれのアキコさんは胃の手術をしました。何より「食べる」事ができなくなって生きる意欲を失いつつありました。
しかし、アキコさんは、そんな時にある「生き甲斐」を見つけました。

それは大学病院の自分の担当チームのお目当てのドクターたちに会うこと、話すこと。
毎日二度誰かが交代で回診にきてくれます。
そして、それは嬉しそうでした。

十分な治療は受けられないし、震災のため自宅からもかなり離れた場所にある病院でした、しかしプライドの高い彼女にとっては、大学病院の医局長が自分の担当チームにいて、胃腸外科の権威と言われる教授直々にオペしてもらえることがシアワセそうでした。
本心はどうであれ、お見舞いのお客さんや電話で自慢気でしたから。


そしてアキコさんはわがままでした。
毎日わたしか義姉が看病についていないと不満です。
食事が不味いから家から作ったものを持ってこいって言いますし、ジュースは果物をその場で絞ったものじゃないと気分が悪くなりもどします。

ある日、アキコさんは私に言いました。
「上等のアイスクリームが今すぐ食べたくなった、外に買いに行ってきて!今すぐ!
病院の売店のはダメよ、安物だから。ハーゲンダッツがいいわ」

私は走って買いに行きましたよ。
しかし大学病院の敷地は広い、病棟から正面玄関へ周り表通りに出て、ハーゲンダッツを買うためには最寄り駅の構内へ行かなくちゃなりません。
私はもともと歩くスピードは早い、決してモタモタしているほうではない。

でもアキコさんのワガママは半端じゃなく、怒り出すことも度々あったから急いだよ。

はぁはぁ息切らしてハーゲンダッツをぶら下げて病室へ戻ったら時計を見ながらアキコさんたら
「遅いわね、もう食べたくなくなったわ」
憎たらしいこと言うのよ。普通の良い嫁なら「ごめんなさい。」って謝るでしょうが、この私がそんな殊勝な訳ないじゃん。
病人相手に
「はぁ~っ!せっかく買ってきたんだから、無理して食べてくださいっ」
って無理やりスプーンとともに押し付けた。
アキコさんは渋々一口だけ口にし、あとを私に押し付けた。
「やっぱり、気分が悪くなった、あなたが食べなさい」
そして布団をかぶってしまった。
別に食べたかないのにと思いながら仕方なく食べることにしたんです、ハーゲンダッツ。
すると、部屋をノックする音が。
「アキコさん、どうですか~!」っと、病棟の担当ドクターチームの先生方がお見えになりました。
そして、その先生のお一人がハーゲンダッツを食べている私を見て、
「あっ、病気のせいで何も食べられないオカアサンを目の前にして、アイスクリームなんて食べちゃって!それもハーゲンダッツですか!」
「実は、わたしハーゲンダッツしか食べないんです~ってタイプでしょう!」
「もしかして、アキコさんが買ってあげたんでしょ、いいオカアサンですよね
?!これはもしかして、作戦かっ?!
ベットに入ったアキコさんをみると、布団を深くかぶり、
「そうなんですよ~この嫁はね、胃を切って何にも食べられない私なんてお構いなしなんですよ,って寂しそうな目で同情ひこうとしている!
ひえ~っ、私とした事が、してやられたり。
完敗!って思いましたわ。

2007/06/21

明治生まれのマサオさんPARTⅡ

みなさまのリクエストにお応えいたしまして、大好評ネタ。明治生まれのマサオさんシリーズ。

彼は私の舅でした。

マサオさんの杖は、彼の体の一部と化していました。

洗濯をして欲しいとき、決まって朝の7時。ピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ン    一度インターフォンを押すと私が出るまでボタンを押し続けます、それも杖で(あっそうそう、町で私を見かけると、杖で私を引っ掛けて「おい!」と呼びます)

またかよ!?「はい」って私も若気の至り、直接ドアは開けません。するとマサオさんは負けじと「はい」私も誰だかわからない振りして再度「はい」するとマサオさん「はい」またまた私が「はい」マサオさんも「はい」。殆どの場合、私が根負け。明治生まれの根性には到底敵いません。ドアを開けると鋭い眼差しで

「今から風呂入るから洗濯な」

私は、やはりむっとして「今日じゃないとダメ?出掛けますが」と反撃に出てますが、完璧無視。「あかん、今からなっ!」

マサオさんの箪笥には山のように下着が入っています。しかし、マサオさんはワンセットしか使用しません。もちろん意味は不明です。

真夏でも2週間に一度だけお風呂を沸かし、ゆっくり全身をくまなく洗浄している間に下着の洗濯をしてもらって、お風呂から出たら暑いから三畳のテレビルームで両肘をつくスタイルで、テレビを観て過ごします。、そう、裸で先ほどまで着用していた下着の乾くのをテレビを観ながらまんじりともせず待つのです。

他にもイッパイ着るものあるやん、今日洗濯せんでもいいやん。

私が反論しますと、物凄く怒ります。

「がきゃっ!あほっ!」先ほどの下着が乾かなくても、自分の思いは変えません。湿ったままの下着を身に着けてご満悦です。下着はズボン下3枚、丸首シャツ1着、ランニング2枚、靴下、バンツ(冬場は各プラス1)

お風呂も2週間に一度のペースでは不潔、下着も2週間も着たままでは臭い、そのうえ湿った下着はカラダに悪い、私は助言します、当然のごとくマサオさんは、そんなおバカを言う私を許す訳がありません。

「がきゃっ!ワシは昔は3年間風呂にも入らへんし、雨に濡れっぱなしでも、なぁんともなかったわ!」

だから、それは戦争中に兵隊さんとして行ったんやってば、一緒ちゃうやん。

つづく

2007/03/10

明治生まれのマサオさん

一度ご披露したかった明治生まれのマサオさんの長いお話。
彼は私の舅でした。なかなか興味深いキャラクターの持ち主で、頷ける語録や笑える奇行談を残してくれました。

マサオさん朝起きると自分のベッドを降り掃除をしながら廊下から玄関へ、そのまま外へ出て玄関回り・門の外、そして家の前の道路へとゴミ袋と塵取・箒を駆使しながら移動します。
そのまま外へ出てお隣や前の家など近隣のお宅回りのゴミをず~っと拾い、箒で履き、水を撒き、自転車や植木鉢の置き方を直し、キレイにしていきます。そう物凄いキレイ好きでした。今度は家の近くの階段(もちろん公道)を同じように掃除しながら降りていき、下の自転車置き場やゴミ収集場所も掃除し約2時間移動します。
私が知っている限り、毎日でした。雨風もちろん関係なし、自分の体調も全く動じず、黙々と。自分の奥さんのお葬式の朝も、そうそうあの例の震災の朝も無関係でした。近所の人も「大きなお世話」などど言ってはいけません、それこそ罵声となって返ってきます。
そう、マサオさんは怒りんぼでした。私なんていっつも怒鳴られっぱなし。
それも悪い言葉です「がきゃっ!」「あほっ!」、さすが明治生まれ、今時のヘナチョコオトコとは違うかなりの迫力です。この私も以前はかなり若かったものですから悔し涙をよく流したものです。

マサオさんはあるときお腹が痛くなったので病院で診てもらいました(かなり我慢してたけど)大腸がんで即手術といわれましたが、病院から逃げて帰ってきました。その後も腹痛はひどかったようですが、持ち前の忍耐力で耐え続け、その後20年生き続けました。

私がハワイに行きたいといったとき、マサオさん激怒しました。
「あほっ!わしゃ昔行ったことがあるがな、なぁ~んもオモロイとこじゃなかったわ!」それは遊びで行ったのではありません、戦争で兵隊さんとしていったんでしょ、面白い訳ないです、私が口答えしますと「がきゃっ!おんなじじゃ!」お話になりません。それにマサオさん行ったのはハワイではなく、他の島です。

ある日、マサオさんがつぶやきました「もらいもんのアベカワモチ、付いてたゴマシオかけて食うたら、それはウマイ、お前も食うか?」
???アベカワモチにゴマシオ?
確かめてみると、それはゴマシオではなくシリカゲルでした。「これ乾燥剤ですよ、食べたら毒ですよ!」私は忠告しましたが、マサオさんは動じません。
「あほっ!付いとるもん食うて毒な訳ないやろっ」全く、お話にもなりません。
トリツクシマモナシ。

今日はココまで。