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いろんな次元でのワールドがある、それも常識だ。(なんてね)

昨夜、早めに帰宅。娘が録りだめしているドラマをみてみた。

その中の

「夜光観覧車」http://www.tbs.co.jp/yakoukanransya/

 

何を主題にしたドラマなんかは、たった一回では読めなかったが、長く(確実な定義はない、ずっと以前からいる人、そして最近になり街に移り住んだ人は人種が違うのだ)高級住宅地にプライドをもって住んでる人たちと、その人たちからしたら新しい者は受け入れがたいことだと知らない新参者の、「ほんまかいなっ!?」

ドラマではひばりヶ丘という、高級住宅地に何故か35年ローンでサラリーマン一家が移り住んできたところからドラマは始まる。

 

家族は、閑静な住宅環境と自分達の新居の満足一杯で、ご近所まわりへの挨拶を翌日に回す。

(まず、あかん!あかん!、と突っ込んだ)

ご近所へのご挨拶は、常識的には、まず工事が始まる、または引っ越しが決まったら、そして引っ越し当日が常識じゃんよ。だって閑静な住宅街に引っ越しトラックや引っ越し業者の喧しさでご迷惑をお掛けします、ってご挨拶は当然でしょ。
そして、ごみの日はいつですか?どのようなお付き合いが必要ですか?どなたからご挨拶すべきですか?どこでも、ワールドに足を踏み入れたら、どこを抑えるべきかを外したらアカンでしょ。(後に、私はこの”外しちゃいけない方”にみえる存在になっていくのであるがね)

常識である。

鈴木京香はまずここでしくじっている。


そして、引越しのダンボールをゴミステーションに置くなんて言語道断である。ダンボールや大量のゴミは業者が市に直接連絡して引取り予約をし、それまでは家の外へ出してはいけない。ゴミステーションの掃除は当番制で、
うちのご近所では、
前日の夜に出してはいけない、

なんて当たり前だし、

ゴミネットも電柱にくくるなんて「みっともない」ので当番が管理するシステムだった。

朝の7時にゴミネットを出して電柱にくくり広げる、ゴミ回収が終わればステーションのお掃除をしてネットは畳んで自分の家に持って帰らなければならない。

あるとき、「ゴミテーションのネットが汚くて触れない、タクは集団回収から外れて、市に直接交渉しゴミ個別回収を頼みましたから」

と言い放つ方があるとき現れた。

それはそれは、ご近所の奥様方はお怒りで「keruさん!、あなたお若いのだから、先頭に立ってそんな勝手は自治会で許されませんことよ、とおっしゃって!」と言われ、その奥様宅に10名くらいのご近所奥様集団で乗り込んだことがある、不本意だったが、仕方がない。

しかし、その大勢にもその奥様は負けなかった。ドラマそのものだった。
「だって、よそのお宅のゴミなんて汚くて私には触れませんわ、どうしてお金を払って業者にさせることを検討されないよ!タクの主人に相談してもゴミネットなんて触らなくてもいい、と言いますし、息子も”お母さん、ゴミステーションなんて汚いなあ、見てて嫌になるわ”といいますのよ」と言い放たれた。

私の後ろにいらっしゃる奥様方は「ひやあ、なんてことをっ!!」とヒステリックに叫び、ひっくり返りそうになられたものだ。


私なんて、家にもいない、どうみても自由奔放そうな”派手な嫁”とご近所で有名だったから、全く気にしていなかったが、
お隣やそのお隣のお嫁さんは本当に気の毒で、高い塀で外から見えないお宅での中で”いい嫁”を貫いてられてはず、だから私にはないほどの苦労をしてるんだろうな、大変tっ~ということを何度も感じたことがある。
しかし、うちの姑が現代的な考え方の人だったわけではなくて、私は全く言う事を聞かないわがまま奔放嫁だった。



どなたかの2代目でなくて、”よそから”若い方が引っ越してこられたと聞くと「この辺も環境が変わって魅力的でなくなった」と嘆いてる声も聞いたことがあるし、

ドラマと同じく、洗濯物は道から見えるところに干したらダメと私も姑に言われた。私はこれも戦い続け、私が干し、姑が裏に回し、また翌日には私が干し、だって、玄関横が南向きなんたもの、姑は洗濯物はみっともないからと、日が射さない裏口の細い勝手口前にしか干さない。ご近所はみんなそうだ。
ゴミもチェックされる、あそこのお宅のゴミにはインスタント物の袋ばっかり入っていたとか、と姑もよく言っていた。

私ももういらないと思い切って捨てた新品ではある洋裁用の生地、ご近所の方がもったいないと袋から出して、私のうちの前に戻しておいてくださったことがある、あ~ゴミはみんな見られているだな、と気づいたもんだ。

私も結婚したとき、お菓子を持ってご近所全てに姑と一緒に挨拶に回った。「うちの嫁です、お料理が好きなんてすよ」って姑がいい「そりゃ、いいお嫁さんをもらわれたわねえ」とご近所の方がいい、
私は一体誰にもらってもらったんだか!?と感じたが、
まあ、仕方なかった、時代だしね。今では考えられない。


ご近所の方々も順番に亡くなり、息子さんが戻られたり、土地を売って(大きな土地ばっかりだったしね)その土地に4軒くらいの新築住宅が立ち、若い人達が増えて、
一気に環境は変わってきた。
私も引っ越してしまったが、

このドラマを観ると、
こんなん多分、笑い話ではなくて、
スモールワールドではあるけれど、
今でもどこかでは普通の常識だろうな、と笑いながら毎回、突っ込んでしまう。


(追記)

他にも同じようなスモールワールドのエピソードを思い出し、一人笑った。

「あそこのお嫁さん、仕事してはるらしいよ。子供を留守番させて働くなんて、そんなこと非常識よね」って、しかし”職業婦人”には敬意を一応表す。どれが”職業婦人”なのかは不明だったが。

子どもが一人だと「かわいそう」と必ず言い放つ、「子どもは子どもの中で育つもの」、っで、うちのように3人以上の嫁には口は挟まない。

ピンポンと鳴らすのは高い塀の勝手口の低い扉の方のインターホン。客でもないのに玄関用のピンポンを鳴らすのは”何様のつもり!?”と思われる。塀の中にはなかなか人を招き入れない。
しかし、奔放な嫁が育てる我が家の奔放息子のサトルは、どちらかのお宅のこの低い裏木戸が開くと、なぜかぴゅーっつっとその中へ私が目を離したすきにすぐ入り込む。
そこの奥様は「きゃあ~またサトルクンが入ったっ~!?」とお叫びになり、その叫び声でうちの姑は青くなる。しかし、サトルは多分、靴を脱ぎ散らかし、その大きな邸宅を走り回るのである。
そこで奥様は常にお菓子を準備していらしゃって、それを餌にサトルを引っ捕まえ、追い返すことにいつも成功なさる。そして、私に言う、
「サトルちゃんはいつも元気で、いいわねえ、keruさんに似たのね」

ピアノを習わすのは常識である。

しかし、サトルにピアノは無理ですぜ、私は姑に言った。「それは、あなたの教育が悪いからよっ!、子供の無限の才能を勝手に決めつけたらだめよ」そんなもん、サトルはおばあちゃんちの古いピアノの鍵盤の間にミノムシを隠し、黒の鍵盤に私のマニュキュアで、サトル曰く”ミノムシの友達”の絵を書いて、おばあちゃんを卒倒させかけた。

おばあちゃんの言葉。

私は父がたの祖父・祖母にとって“初孫(ういまご)”でした。

祖父は忙しい人でしたし、典型的な明治生まれのおとこだったから、そんなに細かく言葉をかけてもらった記憶はありません。だけど、祖母、おばあちゃんは多分ホンマに私をかわいがってくれてるんだなぁという記憶がある。おばあちゃんはホント賢い女性で、それは驚くほどで、上品で楚々として、そして凛として、素晴らしい女性でした。

私は初孫だったし、幼稚園までは同居だったし、違う家に住むようになった小学生の頃は始終おばあちゃんの家に遊びに行ったし、高校生からは同じ敷地に住むようになり、私が結婚してからは実家に帰る度に隣に一人で住むおばあちゃんちにお喋りにいったもんだ。

大事されてた子供の頃の私は、

”祖母が、私の母に対する厳しい評価に対して私に同意を求める”

”母親は、おばあちゃんから私が聞かせられるだろう自分の評価を私から聞き出そうとする”

狭間で、どちらにも嫌な気持ちにさせないように上手に立ち回る技術を身に付けた。

(これがもしかして私の八方美人の所以かもね)

おばあちゃんはおじいちゃんに、それはそれは献身的に尽くす妻でした。

「おばあちゃん、何か好き?」と聞くと

「私はなんでも好き、おじいちゃんが好きなものでいい」

「おばあちゃん、何食べたい?」

「私は何でも食べたい、おじいちゃんが食べたいものがいい」

なんてしか言わない人でした。(おじいちゃんは私と一緒で魚介類がダメで、絶対これしか食べない、絶対これだけ、みたいなワガママな人でした)

おじいちゃんは奔放で偉大ではあったけれど好き放題に生きていた人だった。そのおじいちゃんが逝く最期の最期まで、おばあちゃんは自分の夫を影日向になり支え続けた人でした。おじいちゃんが最後に入院したとき、祖母はもう80歳を超えていたけれど、ボンボンベットに寝泊まりしてワガママ夫の要求にこたえ続けていました。

おじいちゃんが亡くなって、気丈なおばあちゃんは涙を拭うような泣き方しかしなかったけれど、遠くを見ながらポツリと私に言った。

「keruちゃん、もっともっとおじいちゃんに色んな事をしてあげたかった、もっとお世話を私はしてあげたかったのに、ちょっとしかできなかった」って。

どれだけ頑張っても、どれだけ修行を積み重ねても、

私はおばあちゃんのような聡明で賢い女性にはなれない。

ただ、おばあちゃんから貰った言葉は大切にして、子供たちや他の人に機会があれば伝えたいなぁと思う。

どうしたら、あんなに誰かを支え続ける自分を維持できるんだろうなぁ。おバカな私は死ぬまで、きっと理解できないよ。

夜10時のテンダーロイン。

夜10時のテンダーロイン。
「痩せる体をつくる」
に、書いてあったもん。

消化するのに、
野菜は2時間
肉、魚は4時間
炭水化物は6時間

これを目安に寝る時間から逆算するんやて。

だから
今日はごはんは止めて、
2時以降に就寝すりゃいい訳ね?

違う?

子供のころの”夢”

進学先が決まったさおちゃん、これから大学受験のあかちゃん。

将来なりたい職業は?

なれるとか、なれないとか、あり得ないとか、そんなゴタクは無しね。

アナウンサー、キャビンアテンダント、ハーゲンダッツの店員さん、小学校の先生。

ワタシにも子供の頃、真剣になりたいって考えていた職業があります。

通称“ビューロー”、“フェデラル”、“フーヴァー”

「米連邦捜査官、FBI」

長い間忘れていたことなんだけれど、あるときサイトで流行っていた職業診断。

なんとなく、いや仕方なくやってみた。そうしますと、

Photo

だったんだよね。っで、思い出した

田舎育ちの小学生・中学生のころ、私は結構優等生的に物事を考える子でした。(真面目という意味ね)将来の夢のために、ちゃんとした立派な大人になるために、頑張って真面目に生きていかなければならないと考えている子供でした。

学校まで徒歩約45分、授業が終わると一目散に走って帰ってた時期があります。

夕方にアメリカのテレビドラマを放送していたのを覚えている?

「逃亡者」「外科医ベンケーシー」「FBIアメリカ連邦警察」

このドラマが放送される度に将来の夢が変わるんだ。しかし、FBI捜査官は日本人ではなれない。どうしていいかわからず、誰に相談していいかわからず、いや親に言えるような話ではなく、真剣に1か月くらい泣いていた時期があった。あほやなぁ。

今でも「捜査」という言葉が好きです。ドキドキする。(でもなぜか、日本の警察には感じなかった)

大人になってからハマったのは、パトリシアコーンウエルの「検死官」シリーズ。

ケイ・スカーペッタと言う、リッチモンド検死局の女検死官が、さまざまな事件を扱った、推理小説。彼女はとても魅力的で、タフでいて、潔癖で弱さもあって時々はボロボロに傷つく。ケイ・スカーペッターは、医者で弁護士。美人で法律学校を主席で卒業するような才媛で、検死官としても才能があり、出世もしている。料理もうまく、金持ち。恋人はベントン、プロファイラ―心理犯罪捜査官。でも不倫。それが彼が事件に巻き込まれおぞましい死があったり。姪のルーシーは罪深いほどの美人で大学在学中にATFに抜擢。

一時はベントンみたいな人はいないものかと本気で考えていた時期があった。彼の時計はブライトリング。

私って今年は年女。

まだ、ベントンみたいな人に巡り合えるかもって未だ思っているところがある。

それに

夢追いかけっぱなし。。。追いつけず。。。見えもせず。。。

(お陰さまでお仕事や人との出会いには恵まれ、日々楽しく過ごしております)

ホント、まだまだまだまだってずっ~っと思ってる。

いつになったら、この辺りでチャンチャンってなるんだ?

追伸

「外科医ベンケーシー」を見終わると、私の父は必ず私に言った。

「ベンキョウシー(勉強しい)」

友達が結婚する

chiemiが結婚する。

ちょうど1年前に

「付き合ってる人がいる」って言うんで、会いに行った。

私たち(chiemiと私は同級生です)より10歳くらい年下だっけ。優しそうな人だった。

ホントに心から心からお祝いしてる。

chiemiとの思いでは、大学1年の夏休みかな。

夏の蒜山高原に旅行に行った。

冬ならスキーで賑わうホテルに多分私たちだけの宿泊客で。

広い大浴場の湯船につかって

犬の遠吠え(意味わからん)合戦。

なんでか知らないけれど、これしか覚えていない。

シアワセになれよお~

4月の結婚式。私はあり得ないドレスアップで行こうと考えている。(ただ、彼のご両親やご親族に”変なお友達をお持ちね”って言われやしないかと、それだけは心配。

Photo

ムスコネタ。

最近書いた長男ネタ。

何人かの方から

「さすがサトル」とお誉めの言葉を(?)

彼は確かにマサオさんに匹敵するマイペース男には違いない。

小学校1年生の最初の頃のテスト。あれって何年間同じ教材を使っているため、我が家では三人三様の”らしい”回答があった。

Karekusa こんな風に枯れた植木鉢の絵が書いてあってね、

”うえきばちのなえがこんなふうになっています、どうしたらいいですか?”

って問題なのね。

あかちゃん、慎重な余りに全く答えられず 

“白紙回答”

さおちゃん、いつも通り優等生っぽく 

“たっぷりの水をあげる”

サトルの珍答

”すてる”

なつあし

Photo


あかちゃんのあし。


彼女の今年の夏はテニス三昧。毎日毎日炎天下の練習と週末は試合。高校生らしくていいなぁ。
しかし本人の悩みはこの

”足袋タイプの日焼け”

「べつにいいやん、気にせんでも」って母は慰めていたが、
ギャルなのに、夏なのに、サンダルが履けない。

そのうえ、もっと最上級の悩みが。。。

体育祭で、一番最前列、そう本部席の前でダンスを踊ること(もちろん素足で)
鏡に足を映しては
「ださっ!ださっ!」(確かにおばさんから見てもダサイ)

その日焼け振りはすさまじく、さおちゃん曰くは「人間離れしてる」


夏休み明けのある夜。
リビングにいると、二階のあかちゃんの部屋がドスンドスンと、何やら騒がしい。

どうやら翌日がダンスのテストで一人練習中やったらしい。

全く覚えていない、自信がない、と本人言っていたにも関わらず成績がよく、
体育祭の最前列に抜擢されたんだな。。。
(彼女は作文や工作については苦手が強いが、とにかくプロポーションが抜群で、スポーツさせたら親ながらその姿に惚れぼれする程)


さおちゃんの今年の夏は毎日毎日予備校三昧、大変だろうけれど頑張れよ!あなたの今も財産だよ!!


実は私の足も、(で)あかちゃんと同じく”足袋形日焼け”でございます。。。
(誰にも見せないが、おばはんの方が意味がなく醜い。。。

後悔。

昨夜は仕事が京都方面で。
久しぶりの阪急電車でご帰宅です。

そしたら、、、たまたま同じ車両に乗り合わせた
何年振りかのご無沙汰ヴィヴィアンさん
全く変わらないアクティブなご様子でした。
10年以上前に地域のボランティア活動で、何度もご一緒させていただき、大変お世話になった方です。
Pami1
それは震災の炊き出しから始まった活動で、彼女のバイタリティは一種独特で優雅な生い立ちが生み出したポリシーが由来するのか、回りから敵対視されることも多かった。

でも、わたしは彼女の
「私たちは、愛です!の意味不明な思想が好きでした。
エゴとも私利私欲ともみえてしまうような強い自我をお持ちで、相反するところでの利害の対立や奪い合い、
そして究極は正義と高い志と名乗るものに身を引くことになった。
私も何年間、彼女たちとボランティア活動をさせてもらっって、それは結構一生懸命で。
私の中には、高い志も強い信念もなかったし、ただやるべきことがあるなら誰かがやればいいのが
ボランティアだと考えていたから。
震災の時のみんなの、何と無く心細い中での一体感を思い出すと、
彼女たちと一緒に作っていた仲間や活動が、正義と語る者につぶされたことに涙が出そうになる。
何かは間違っていたのだとは思う。
誰かが間違っていたのかも知れない。
そして私は、不甲斐無い自分に今でも腹が立つ。
彼女に対する感謝と尊敬の思いを全く伝えられなかったこと。
そして今では、もう口に出すことすらできないほど時が流れてしまったこと。
他愛もない世間話の中で、彼女はポツリと言った。
「あんなに必死にやっていたこと、離れてみたら物凄いちっぽけな出来事やったんやね」
「いいえ、ちっぽけではなかったですよ、一つの時代でした」
私はそう言うのが精一杯でした。
本当に感謝しています。

expression

結構いいネタなんやけど、当人が至って不快感を露にするので控えてました。

うちのあかちゃんは、私と正反対で
”物怖じするタイプ”
根が真面目でこう、あるべき派。
自由に表現をすることが難しい。
自己表現が苦手。
そして、自分は作文や絵の才能がなく、物笑いになると思い込んでる。
いえいえ、絵や作文は、
心に感じた物を素直に筆で表現するだけ。
上出来とか、美しいとか、ではなくて表現する力をつけることが大切なんです。
真面目に取り組むだけでいいものになるし、その姿勢は必ず評価されます。
だが、紙を前にいっつも頭抱えてしまう。そして、やる気をなくしてしまう。
いつもは強制しないけれど、高校受験を控えては親としてそうも言ってられない。
公立高校を目指すなら内申点の評価、しすて特に副教科には重要。
提出物は必至、自由課題も出すだけでプラス評価にはなる。
普段の作品点数が取れないなら、まじめに取り組む姿勢をアピールしなければならない。
っで、親としてできることは嫌がる本人を美術館に連れていき、全作品を見なくていいから一点だけ好きな作品を
私がベラベラ喋り心に残るように強調する、そして帰宅したらレポートの作成をヘルプします。
前置きが長くなったな。
ある夏休みの自由課題は、貯金または選挙ポスター。
時期がタイムリーだったから選挙ポスターを選んだ。
私が一晩考えて標語を決め画用紙に鉛筆で下書き。
それでもグチグチ言う、あかちゃんに色を塗る指導をし提出。
Senkyo
そして夏休み明けの個人懇談。あのときの担任は24歳の若造、私を目の前にして嬉しそうに
おめでとうございます、あかちゃんの選挙ポスターをがコンクールで○○賞をとりました入賞は何人かいるのですが、○○賞はあかちゃんだけです!
つきましては、朝礼で表彰式をします!結構、先生は誇らしげです。
あかちゃん絶句。。。
それから、エライ剣幕で私を罵倒する。
「一体どうしてくれるんよ!表彰式の日、学校休むからね!私が書いたんちゃうし!」
「なんでよ~、アドバイスしただけで書いたのは、あかちゃんやから気にしなくていいやん」
こんなやりとりが。
結局、担任の先生に押し切られ、あかちゃんは表彰式に。
副賞でいただいた図書券、チョー真面目なあかちゃん
「これは、わたしが貰う訳にはいかへん、オカアサンに権利あるから!」と言って受け取らない、もう真面目なんだから。
そんなこんながあったことも忘れ、次の春休み。
ある日、仕事先の携帯電話にあかちゃんからの着信が。
「どうしたん?」
オカアサン!もう、大変やで~!
役所のなんちゃら課のおっさん二人と女の人が来はって、私のポスターが今度の選挙のポスターに決まったって!」
二人して絶句。。。
そこから、2週間あかちゃんにとっては針の筵やったみたいです。
町中に自分の書いた選挙ポスターが貼られてる。
学校の友人たちは当然知ってるから、
「あっ!あかちゃんのポスターやっ!すごいね~」
「。。。」
彼女は又、自由課題作品作成に心を閉ざしてしまいました。
いったい、何が悪かったのやら。。。

もう一枚来た!

もう一枚来た!
会長からのラブメールだ。ある意味感動する。

もう一枚をオマケ!!
於:ビジネス・パーク IMP のイルミネーションですご照覧あれ〓

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