おばあちゃんの言葉。
私は父がたの祖父・祖母にとって“初孫(ういまご)”でした。
祖父は忙しい人でしたし、典型的な明治生まれのおとこだったから、そんなに細かく言葉をかけてもらった記憶はありません。だけど、祖母、おばあちゃんは多分ホンマに私をかわいがってくれてるんだなぁという記憶がある。おばあちゃんはホント賢い女性で、それは驚くほどで、上品で楚々として、そして凛として、素晴らしい女性でした。
私は初孫だったし、幼稚園までは同居だったし、違う家に住むようになった小学生の頃は始終おばあちゃんの家に遊びに行ったし、高校生からは同じ敷地に住むようになり、私が結婚してからは実家に帰る度に隣に一人で住むおばあちゃんちにお喋りにいったもんだ。
大事されてた子供の頃の私は、
”祖母が、私の母に対する厳しい評価に対して私に同意を求める”
”母親は、おばあちゃんから私が聞かせられるだろう自分の評価を私から聞き出そうとする”
狭間で、どちらにも嫌な気持ちにさせないように上手に立ち回る技術を身に付けた。
(これがもしかして私の八方美人の所以かもね)
おばあちゃんはおじいちゃんに、それはそれは献身的に尽くす妻でした。
「おばあちゃん、何か好き?」と聞くと
「私はなんでも好き、おじいちゃんが好きなものでいい」
「おばあちゃん、何食べたい?」
「私は何でも食べたい、おじいちゃんが食べたいものがいい」
なんてしか言わない人でした。(おじいちゃんは私と一緒で魚介類がダメで、絶対これしか食べない、絶対これだけ、みたいなワガママな人でした)
おじいちゃんは奔放で偉大ではあったけれど好き放題に生きていた人だった。そのおじいちゃんが逝く最期の最期まで、おばあちゃんは自分の夫を影日向になり支え続けた人でした。おじいちゃんが最後に入院したとき、祖母はもう80歳を超えていたけれど、ボンボンベットに寝泊まりしてワガママ夫の要求にこたえ続けていました。
おじいちゃんが亡くなって、気丈なおばあちゃんは涙を拭うような泣き方しかしなかったけれど、遠くを見ながらポツリと私に言った。
「keruちゃん、もっともっとおじいちゃんに色んな事をしてあげたかった、もっとお世話を私はしてあげたかったのに、ちょっとしかできなかった」って。
どれだけ頑張っても、どれだけ修行を積み重ねても、
私はおばあちゃんのような聡明で賢い女性にはなれない。
ただ、おばあちゃんから貰った言葉は大切にして、子供たちや他の人に機会があれば伝えたいなぁと思う。
どうしたら、あんなに誰かを支え続ける自分を維持できるんだろうなぁ。おバカな私は死ぬまで、きっと理解できないよ。
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